こんにちは。
福岡・北九州のリトリーブサイコセラピスト待鳥智美(まちどりともみ)です。
全国の桜前線や梅雨入りなど気候のニュースを追っていると、日本は立て長いんだな~と改めて思いますね。
福岡の梅雨入りは早かったのに、まだの地域もあるな~と。
激しい雨が降ることが多くなって、正確で早い天気予報の重要度が増していますね。
さて、仕事など「役割」を責任持って果たすことは、とても重要なことだし、生きがいにもなり、必要なことですね。
今日お話しするのは、人との関わりの中で、いつも特定の「役割」を引き受けてしまうという、立ち位置や生き方の問題についてです。
無意識にその「役割」を引き受けてしまうので、本人にとって損だなイヤだなと思う生き方、自分を生きられない不自由な生き方、生きづらさになると言えます。
☆同じような人間関係の問題を繰り返している
☆生き方を変えたい
☆人の機嫌に敏感すぎる
生きづらさになりやすい4つの「役割」とは?
いろいろな役割がありますが、私は、生きづらさを抱えるよく見られる「役割」は、次の4つだと感じています。
1.「ゴミ箱役」
2.「慰め役」「お世話役」
3.「しっかり者役」
4.「ダメなヤツ役」
1.ネガティブな感情を吐き捨てられる「ゴミ箱役」
ネガティブな感情とは、主に怒りや暴言、嫌み、否定などのことです。
それらを、相手が吐き出した言葉や態度を、ゴミ箱のように受け取る役です。
例え、理不尽であっても、相手の身勝手あっても、自分がイヤだとしても、「ゴミ箱役」の人は、しっかり「イヤだ、止めて」と言うことはできず、受け入れます。
どんな人間関係の中でも、自分がストレスを感じても、「ゴミ箱役」となります。
だから、いじめられる人、モラハラ・パワハラなどのターゲットにされる人に「ゴミ箱役」の人が多いです。
2.かわいそう・大変そうな人の「慰め役」「お世話役」
かわいそうな人や大変そうな人を、慰めたりお世話して助ける役です。
愚痴や文句を聞いてあげる
励ましたり、アドバイスをする
手間、お金などをかけて手伝う など
率先してお世話せずにはいられません。
相手のためにと思いながら、自分の役を果たしているだけなので、相手にとっては本当に必要ではない余計なお世話ということも多々あって、煙たがられることもあります。
いつも、かわいそうな人を素早く見つけます。
本当はかわいそうでは無い人でも、「お世話役」として近づき、相手をかわいそうな人に仕立て上げます。
そうされた人は、自分で生きる力を奪われてしまいます。
これでは、対等な人間関係は、築けません。
3.何でもできる「しっかり者役」
頼まれたことや任されたことをしっかりと果たそうとします。
上手くできない人をサポートしたり、引っ張ったりします。
一見、何の問題も無いようですが、自分ひとりでどうにかしなければいけないと思う頑張り屋さんが多く、適切に人に頼ることができずに過剰に頑張り、必要以上に背負い込む傾向があります。
その結果、心身の不調で倒れてしまうことや、ひとりに仕事の比重がかかりすぎてチームとしてうまく機能しない問題が起こることがあります。
4.いつまでもうまくできない「ダメなヤツ役」
自分はダメで、何もうまくできないという役なので、何事も成し遂げることができません。
途中まではうまくいっても、あと少しで目的というところで、大きなミスをしたり、やる気を失って投げ出したりします。
いつも、人を頼り、独り立ちできません。
人を引き立てる役でもあります。
不自由で生きづらいけど役割を降りられないのはどうしてか?
どこにいても、誰といても、自分が不自由で生きづらくてイヤだと思いながら、「役割」を引き受けてしまい、降りられないのはどうしてでしょうか?
それは、「役割」ではない「自分」そのものでは、生きていけないという感覚があるからです。
言い換えると
「自分」を自由に生きたら死ぬ
という死の恐怖に縛られているのです。
この感覚は、とても怖く、苦しく、辛いものです。
だから、死ぬほどの恐怖を感じるよりはマシなので、イヤだとしても、降りたいと思っても「役割」を引き受け、果たし続けます。
「役割」を果たすことは、恐怖を感じなくていいメリットがあるということでもあります。
どうして役割を引き受けるようになったのか?
どうして役割を引き受けるようになったのか?
それは、幼少期の親子関係からの場合がほとんどです。
一例
◎親が、大変そう、かわいそうに見えた(2.慰め役、お世話役)
◎一方の親がもう一方の親の愚痴や悪口を言う人だった(1.ゴミ箱役、2.慰め役、お世話役)
◎親が、暴言・暴力を振るう人だった(虐待された)(1.ゴミ箱役、4.ダメなヤツ役)
◎弟妹がいてお手伝いやしっかりすることを求められた(3.しっかり者役)
◎頑張って何かができると喜ばれた(3.しっかり者役)
幼少期の子どもには、
親の期待に応えなければ見捨てられる状況は、死に直結する恐怖です。
親に期待に応えて喜んでもらえることは、とてもうれしく安心を感じます。
だから、「親の期待に応えなさい」と求められて、自分の感情や欲求を大事にして生きる「自分らしさ」より、「役割」を引き受けました。
「役割」を自分から進んで引き受けたのか、仕方なくだったのかにかかわらず、あなたにとって「役割」を果たすことは、生きるためにとても重大な意味があったのです。
どんな「役割」を引き受けたとしても、総じて、親にとっての「いい子」という「役割」です。
そうすれば、家庭内に自分の居場所を確保できた、必要とされた、褒められた、など安心や安全を感じられていたからです。
それが、先程の「自分」を自由に生きたら死ぬという感覚になり、恐怖を避けて
「役割」を引き受ける生き方を選ぶ理由です。
子どもの頃から自分を生きられず「役割」を生きる人は、自分の内に大きな恐怖や親への怒りを感じていますが、どこにも出すことができず、ため込んでいます。
このような親子の関わりでは、沢山の心の傷つき(トラウマ)を負います。
親子の安定した愛着形成ができていません。
また、自己愛(自分は大切な存在という感覚)や自己肯定感(そのままの自分でいてもいいという感覚)も育っていません。
いつも自分の感情を表現できません。
これらのことは、日常的な不安やストレスにつながるので、少しでも安心を求めて「役割」を生き続けてしまい、生き方のパターンとなります。
役割ではなく自分を生きる為にはどうしたらいいのか?
今、大きな恐怖や怒りを抑えつけながら、「役割」を引き受けていることで、とても苦しく、生きづらさやを感じています。
では、これから先、これから先役割ではなく自分を生きる為にはどうしたらいいのでしょう?
いきなり、「もう「役割」を引き受けない」と決めて行動に移すことは危険です。
なぜなら、「役割」を引き受けなければ、死の恐怖が襲ってくるからです。
丁寧に、親子の関わりを見つめ直して、トラウマや愛着の問題を心理セラピーで扱っていくことをおすすめします。
『「役割」を降りる!もう引き受けない!』という決意と共に、
恐怖が緩んで、自分が安定していくことが、無理せずに自由に「自分」を生きるためには必要です。
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→ 【心理】「親の期待」に応えたら人生に迷う!?理由と解決に向けて
いつも引き受けてしまっている「役割」を降りて、
「自分」で自由に生きてみませんか?
では、また~。