こんにちは。
北九州の心理セラピスト待鳥智美(まちどりともみ)です。
リトリーブサイコセラピー®という心理療法で「あなたが本当に望む自分に戻る」お手伝いをしています。
自分のお仕事に関することや、好きなこと、興味があることについては、街中でも、つい、目や耳が向いてしまって、あれこれ考えたりもするものですよね。
私も、ちょっと気になった親子のやり取りは、チラ見したり、盗み聞きしたりしてしまいます。
好きにしなさい。お母さんはもう知らないよ
先日も、ありました。
あることをするのに、やる気と自信のある男の子(小学校低学年っぽい)と横にいるお母さん。
母:「そうじゃない、こうした方がいい」と口やら手やら出す。
男の子:それを嫌がって聞こうとしない。
母:「じゃあ、好きにしなさい!お母さんはもう知らんよ!」
と言ってスマホを見出す。
少し時間が経つと、不安そうな男の子。
スマホから目を離さないお母さん。
男の子:「もうやめる。」
これを、『よく見かけるやりとりだな~』『自分も言ってる』『普通じゃん』と思うかもしれない。
そう思うほどに、親が子どもを思う通りにしようとすることが、当たり前になっているのかもしれない。
よく見かける光景だな~とは思うけど、私は
「じゃあ、好きにしなさい。お母さんはもう知らんよ。」に、
『うわっ、出たよ~、そのセリフ!』と思った。
見守ることはできずに、あれこれ指図して、自分の思うように行動しなかったら、「好きにしなさい」と突き放す。
この「好きにしなさい」に『本当にあなたの好きにしていいよ』の思いが感じられるだろうか?
その後の子どもを無視する様子から感じられるのは、
お母さんの言うことをきかなかったら、
『もう、見捨てるよ』『ひどいことが起きるよ』『一人になっちゃうよ』というメッセージじゃない?
言葉では、「好きにしなさい」と言い、
態度では、「好きにしてはいけない」と示す。
こうやって、反対のことを示されると、素直な子どもは、
自分がどうしたらいいのかわからなくなる。
自分のやりたい気持ちを捨てて、お母さんの言うことをきくのはイヤだ。
でも、自分の思う通りにやって、お母さんに見捨てられるのも、嫌われるのもイヤだ。
どっちも選びたくない!
こんな風に『どっちを選んでもイヤなことが起こる』ということを、【ダブルバインド】と言うのだけど、
これを繰り返していると、『自分ではどっちも選ばない』という解決策を選ぶようになる。
・人の顔色を見て、何が正解かを探る
・自分の意志は、持たない
・自由な発想もないので、言われたことだけはやる
一見、波風立たなくて良いように見えるけれど、
大人になってこれでは、【自分の人生を自分で生きる】には程遠い。
気づかないまま行けばいいけど、いつか気づくかもしれない。
私は、本当は何をしたいのだろう?
自分の好きなことって何だろう?
このまま、○○さんの言うことをきいてるだけでいいのかな?
私の幸せって何?
『私の人生これでいいのー?』
考えてもわからない…
もし、気づくことができたとしても、
自分の足で一歩を踏み出すことや、自分で決めることが、
怖くて怖くてどうしてもできない!やっぱりこのままでいい!ということになる。
本当に、このままでいいの?
小さな繰り返しも
【トラウマ=心的外傷】というと、大きな・ショッキングな出来事で負ったというイメージかもしれないが、
小さな・ショッキングな出来事も、それが繰り返されれば、十分に残る【トラウマ】となり得る。
一つ一つは小さいので、本人も気づいていないことが多いけど、実は結構深い。
小さな子どもにとって、お母さんに見捨てられる・嫌われるということも、
自分の素直な欲求ややる気が認めてもらえないことも、大問題なわけで、
選べない苦しさというキズを繰り返し負っているということ。
そのキズに触れないために、選ばないことを選んで生きて来た。
自分らしく生きたい! けど、できない
自分の好きなことをしたい! けど、それがわからない
自分が何を感じているのかわからない
選びたいけど、選べない
ずっと、選ばないことを選んで来たんだから、そりゃそうだ。
だから、そんな時は、自分のキズに気づいて、癒すことが大切でしょうね。
一人では、出来ないときは、プロの手を借りるのもいいでしょう。
ありふれた親の口ぐせが、子どもに与える影響って、実はすごい!
そして、それを口癖にしている親も、子どもの頃同じように親から言われていただろうな。
子どもが消極的だとか、何にも自分で決められない、と子どもにばかり目を向けないで、
自分も、いろんなことを決めたり、選んだり、実行することが苦手じゃないか?って
自分を振り返ってみるといいね!
では、また~。