夏休みやお正月。

久しぶりに家族が集まって
みんなで食事をしたり、話をしたり
いつもとは違う時間を過ごす。

でも
●みんなといても、自分だけ忙しくて楽しめない。

家族が帰ったあと
「やっと終わった……」「やれやれ」と
ほっとするのもつかの間

●体調を崩してしまう。

●どっと疲れが出て何もしたくなくなる。

●寂しいような…、むなしいような…
何とも言えない気持ちになって、落ち込んでしまう。

なぜか、そんなことはありませんか?

もちろん
普段はいない人を家に迎えるのですから、
楽しみであったとしても
いつもより大変なのは当たり前ですよね。

私も、子どもたちを迎える立場になって
毎回、そう実感しています。

来る前には
掃除をしたり
買い物をしたり
布団を準備したり。。。

滞在中も
料理を考えたり、作ったり、
洗濯物が増えたり。。。

そして、帰った後には、片付けがある。
(私は、これがとても面倒くさいと思ってしまいます笑)

いつもより人が増え、仕事が増えるのですから、疲れるのも当然です。

でも、もしあなたが毎回

「自分だけずっと忙しくて楽しめない」
「家族が帰ったあとに、体調を崩す」
「疲れ切って、元気がなくなってしまう」
「ものすごく寂しくなる」
「なんだか自分だけ取り残されたような気持ちになる」

というのであれば、

単純に「家事を頑張った。」→「だから疲れた。」という
だけではないかもしれません。

「せっかく来てくれたんだから」と頑張りすぎていない?

家を離れた家族が来るとなると

「せっかく来てくれるんだから、久しぶりだから、喜ばせたい」

そう思うのは、とても自然な気持ちだと思います。

 

 

でも

「これもしてあげよう」
「これも用意しておこう」
「困らないようにしてあげなきゃ」
「みんなが楽しく過ごせるようにしなきゃ」

と、どんどん自分が考えることや動くことが増え続けていく。

そして

「ちょっと疲れたな」と思っても
「これくらいはやらなくちゃ」と、自分の気持ちを後回しにして休まない。

本当は、手伝ってほしくても言わない。

「私がやるべきこと」と思っている。

「家族のために」頑張るのが普通と思っている。

 

そのくらい、相手を喜ばせることばかりに意識が向いていて
気がつけば、家族みんなが楽しんでいる横で
自分だけがずっと動いている。

そんなことはないでしょうか。

 

このような人は、自分の中にある

「本当は休みたい」
「私も一緒に楽しみたい」
「今日はラクしたい」
「ちょっと一人になりたい」
「誰かにやって欲しい」

という気持ちをスルーしがちです。

それに、忙しい間、頑張っている間は
自分が無理をしていることに気づかないというのもよくあります。

 

だからこそ
家族が帰って、ようやく静かになったとき

そこで初めて、体も心も緩んで
「こんなに疲れていたんだ」と気づいたり
体調不良という形になって表れることになります。

「さみしさ」や「むなしさ」が出てくることも

もうひとつ
家族が帰ったあとに「さみしさ」や「むなしさ」を強く感じることもあります。

これは
「家族が好きだから、さみしい」というだけではないかもしれません。

 

それは
「私、何のためにあんなに頑張ったんだろう」
「どうして私ばっかり、、、」
「誰も私を労ってくれない」という気持ちや

「私は、結局一人ぼっちだ」というさみしさかもしれません。

 

そのさみしさや、むなしさの奥には

「人の役に立っているときだけ、自分の存在価値を感じられる」

「人を喜ばせないと、私は関わってもらえない」

「頑張らない私には、どこにも居場所がない」

「誰かのために頑張っているときは、自分のことを考えなくて済む」

そんな感覚や思い込みが隠れていることもあります。

 

だから、人がいる間は、人のために一生懸命に動ける。

でも、人がいなくなった途端
自分の中にぽっかり穴が空いたようになるのです。

「そういうものだ」という植え付けられた価値観

SNSで「さす九」という言葉が、度々話題に上がりますが
この言葉を知っていますか?

「さすが九州」の略語ですが

「家事や育児は女性がするもの」
「女性が家族の面倒を見るもの」
「親や家族を大切にするなら、それくらいして当然」
「男子、厨房に入るべからず」

というような九州の人の気質や文化
男尊女卑の価値観をやゆして使われているようです。

 

もちろん、すべての家庭や地域がそうだという話ではありません。

 

でも、あなたが育った家庭ではどうでしたか?
母親が、家族のためにずっと動いていませんでしたか?

そんな光景を
「当たり前のもの」として見て育っていくと

「それが、家族の中での女性の役割」
「親もそうしてきたんだから、私もそうするもの」

と、知らないうちにその価値観を受け継いでいることがあります。

 

もしかしたら
あなたの家族への頑張りも、そうした受け継いだ価値観が
根っこにあるのかもしれません。

「私は、本当はどうしたい?」がわからなくなる

このように、頑張りすぎてしまう人や、受け継いだ価値観を持っている人は

「どうしたら家族が喜ぶか」
「何をすべきか」

は、よくわかります。

でも、

「私はどうしたい?」
「私は何を感じている?」

という自分の気持ちや欲求は
わからなくなることが、よくあります。

 

それは、幼い頃から
●自分よりも「人」を優先してきたから

●自分の気持ちを出しても、聞いてもらえなかったから

●人を頼ることができなかったから

●「そういうもの」と社会や親の価値観を鵜呑みにしていたから

です。

 

だから、必要なのは
単純に「もっと家事を家族にやってもらうこと」だけではありません。

もちろん
誰かに手伝ってもらうことも大切ですが

その前に

「私は、本当は何を感じている?」
「私は、どうしたい?」

という自分の内に耳を傾け、体や心の声を聞けるようになることが、もっと大切です。

そして、幼い頃の

「本当は嫌だった」
「本当は寂しかった」
「本当はもっと大切にしてほしかった」
「本当は、私も誰かに甘えたかった」

そんな気持ちにも、気づいてあげること。

 

そこから
自己価値の不安や、人とのつながりの不安が緩み始めます。

少しずつ自分の中に安心が育っていくことで
頑張り方や人との関係も少しずつ変わっていきます。

急に「いい人」「頑張る人」をやめられない

「次からは頑張りすぎないようにしよう」

そう思っても
また同じことを繰り返してしまうでしょう。

それは、
あなたの意志が弱いからではありません。

 

「家族のために頑張る」
「人に迷惑をかけない」
「自分より人を優先する」
「人の役に立つ」

という生き方が、
長い時間をかけて身についているからです。

そしてその奥には、
「そうしなければ愛されない」
「役に立たなければ必要とされない」
「自分のことを優先すると嫌われる」

そんな、もっと深い心の傷や思い込みが隠れていることもあります。

 

だから

「もっと自分を大切にしよう」
「無理なときは断ればいい」
「もっと人に頼もう」

と頭でわかっても
なかなかできないのです。

 

もし、家族が集まるたびに頑張りすぎてしまう。

そして、家族が帰ったあとに、
身体や心が大きく崩れてしまう。

そんなことが続いているなら、

「私はどうして、ここまで頑張ってしまうんだろう?」

と、自分の心を見つめることが大切になります。

 

でも

自分では当たり前になっている「頑張り方」の中には、
自分一人では気づきにくい心の傷付きや、パターンが隠れていることがあります。

一緒に、その頑張りの奥にある気持ちを探しながら
「人のために頑張る」だけではない生き方を
少しずつ取り戻していきませんか。

人を喜ばせるために頑張る「私」だけではなく
自分の気持ちや身体を大切にする「私」も
少しずつ育てていくことができますよ。

そのために、頑張りの奥にある「気持ち」や「思い込み」を見つめていきましょう。