こんばんは。
北九州の心理セラピスト待鳥智美(まちどりともみ)です。
リトリーブサイコセラピーという心理療法で「あなたが本当に望む自分に戻る」お手伝いをしています。
やればできる、けど、すぐにはやらないことを選んでいるのには、そうするメリットがあり、理由があるからです。
そのメリットとは、できるだけ恐怖を感じなくて済むということです。
理由は、やっても、やらなくても怖い思いをするからです。
やればできるのに…
「うちのこども、やったらできると思うのに、やらないんだよね~」
「あいつは、もう少し積極的にやったら伸びるのにな」
と愚痴をこぼしたり、もったいないと思っている、お母さんや、友達、上司の声をよく聞きますね。
「やればできる子…YDK…」とCMでも聞いたことがありますね。
どんどんチャレンジして、成功しても、失敗しても、それを経験として身に付け、また進んで行く人がいる一方で、
新しいことへのチャレンジや、継続して頑張っていくということが苦手で、現状維持または低空飛行のような消極的な生き方をしている人も。
後者は「やればできるのに」と周りの人に言われることや自分でもそう思っていることが多いですね。
「やればできるのに、ギリギリまでやらない」のは、『めんどうくさいから』後回しにしているだけだと言うかもしれません。
しかし、「めんどうくさい」と言いつつ、ギリギリになったらやるという心の奥にあるものは
・やってみて、失敗するのが怖い
・やらずに、人に自分がダメなヤツだと思われるのが怖い
つまり、
『失敗する自分はダメな人間だ。ダメな自分には生きる価値がない』という低い自己価値感と生きていられない恐怖です。
これでは、やってみることも恐怖だし、やらないことも恐怖!という
どっちも選びたくない状況になってしまいます。
それが、『めんどうくさい』といって取り掛からない、けど『ギリギリになったらやる』という現状になります。
そうやって、「もっと早くからやっておけばよかったのに」「手伝ってもらえばよかったかな」と思いながらも、「私って、やればできる」という思いを強くしていくのです。
うまくいっても、失敗しても、どちらにしても、人からどう見られるかが怖いのです。
「何かができる自分なら、存在してもいい、価値がある」という条件付きの自己存在価値や自己重要感は、自分が自分を信じる力がなく、自分に対する評価が低い人が持つ感覚だということができます。
そうすると、できる・できないと判定する自分以外の誰かの評価が必要となります。
人からの評価が自分の評価の全てのように感じるので、人の目が怖い、人の評価が怖いという感覚を持つのですが、人の評価って、コロコロと変わり、当てにならない不安定なものですよね。
自分の価値や、自分の存在を安心して感じられないのは、実は、とても不安で、怖く、悲しいことですね。
自分という存在を、安心して感じられるかどうかが、その人の生き方にとても大きく影響しているのです。
低く、不安定な自己重要感
自己重要感は、幼いころの家族関係、家族の関わり方によって身についていきます。
子どもは、親や家族に繰り返し自分を大切にしてもらい、受け入れてもらうことによって、自分自身が大切な存在なのだと感じることができるようになります。
・家族に共感性がなかった
・何かができても褒めてもらえなかった
・できないと怒られたり、バカにされたりした
・否定されていた
・親が消極的な生き方だった
このような場合、いつも不安で自分に自信がなく、消極的な生き方を選びがちになります。
自分の生き方は無理してるな、とか、なんか疲れるとか、いつもいっぱいいっぱいだなと感じているなら、自分を見つめるときかもしれません。
家族との関わりあいの中で感じた不安や恐怖の気持ちや感覚を丁寧に扱うことで、不安や恐怖を安心に変えていくことができます。
そうすることで、自分が本当に望む生き方を選べるようになっていきますよ。
では、また~。(^▽^)/
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