こんにちは。
福岡・北九州のリトリーブサイコセラピスト待鳥智美(まちどりともみ)です。
リトリーブサイコセラピーという心理療法で、お悩み解決・自分の人生を取り戻すお手伝いをしています。
本当の自分らしさを取り戻し、もっと自由に、もっと楽に人生を歩みたい方におすすめです。

昨日は、母に会いに行きました。
現在は、グループホームに入所していて、久しぶりの面会でした。
ずっと父親にと言われていた私ですが、並んで撮った写真を見たら、母によく似ていて、クスッと笑っていました。
親子ですから、似てて当たり前と言えば当たり前ですよね。

でも、以前の私なら似ていることが嫌だと感じていたと思います。

なぜなら、私は母との関係がよくない、母が嫌いだ、とずっと思っていたからです。

幼少期の満たされない思いが執着につながる

母と話しては、何もわかってくれない母に私が怒り、嫌な気分になって終わる。
でも、母のことがいつも頭の中では気になっているから、また話をしたり、世話をしたりして、、、

ずっとこれを繰り返していました。

 

これは、私が母に怒り、憎み、恨みそういう敵対的な感情を持ちながら依存して
『執着』していたということです。

 

執着とは、一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないことです。

だから、執着は、自分を嫌な気持ちにさせるし、自分の人生を止めてしまいます。

 

執着は、手放す方がいい。

 

そうだろうけど

だけど、やめられない。

 

そういう人も多いのではないでしょうか?

 

 

 

執着するのは、満たされない思いがあって、あきらめきれないからです。

 

特に、幼少期に親への

愛して欲しい

認めて欲しい

満たして安心させて欲しい

これらの思いが、満たされず、未完了な場合に、子どもは深く傷つきます。

傷付きを癒したい、未完了を完了させたい、と

大人になっても親へ、または相手を変えて、

ずっと、

愛して欲しい!認めて欲しい!安心させて欲しい!と相手にしがみつきます。

 

執着は自分の人生を止める

私は、愛して欲しかったけど満たされなかったので
愛されない絶望を感じなくて済むように
『自分は無条件には愛されない人間だ』と思い込み
母が怒らない、母が気に入る「できる人」を目指して頑張っていたのだと、今はわかります。

(もちろん、父との問題も関係しています)

 

この頑張りは、母に認めて愛してもらいたいための頑張りで、
自分が本当にやりたいことや欲しいもののためではありません。

母は、いつでも相変わらずの母です。

だから、何をやっても、何かができても、結局は自分の充実感や満足感にはなりません。

そして、我慢、不満、嫌な気持ちなどが、出し場が無く貯まっていくので、
いつも怒りを抱えています。

怒りで、母と関わり続けてしまいました(敵対的依存)。

これは、私の生き方や人間関係にそのままつながっていきました。

 

恋愛関係に、如実に出ていたと思います。

若かりし頃

付き合っていた彼に好かれるように、役に立つ何でもできる人を目指して頑張って、お世話して、、、

でも、満たされるのは彼の自己愛だけで、彼がどんどん調子に乗るだけです。

私の満たされない思いは募って、不満は貯まって、イライラしてケンカをする。

しかし、見捨てられたくないので、しぶしぶ謝る。不満は貯まるばかりで。

。。。こんなこと(共依存)を繰り返していましたね、笑

そもそも、子どもの頃に母に無条件に愛して欲しかった思いを

大きくなって同じように彼に求めても、彼は私の母じゃ無いんですよ。

当たり前のことなのに、無意識に、相手を変えて、やり続けてしまう。

この関係は、苦しくなって当然でしょう。

 

当然だけど、そこにこだわって、同じ事を繰り返すから、、、

自分の人生が止まってしまうのです。

 

それが、『執着する』ということです。

だから、自分の人生を生きるには、執着は手放した方がいいのです。

執着を手放すために

執着を手放すには、未完了を終わらせることが必要です。

 

とは言っても、幼少期に満たして欲しかった人に、今、満たしてもらうということではありません。

それは、もう無理でしょう。
(無理なものを求め続けている現状が、『執着』ですから)

 

では、どうするのかというと、

求めても手に入らないとあきらめることです。

私の場合では

母に求めても、満たされることは無い、愛されることは無い

ということを受け入れることです。

 

 

「そんなこともう、とっくにあきらめている。求めてすらいない。」

そう思いませんか?

多くのクライアントさんが言います。

そう思っていたんです、私も!!

 

でも、大人の目で見つめてみてくださいね

「では、今、自分がやっていること、人に求めていることは何なの?」と。

 

はい、
やってますね、求めていますね。

 

 

自分が、何を、誰に、どれだけ求めていたのか?
そして、求めても求めても得られなかった。。。

この現実を直視することや
痛みや悲しみや恐怖の感覚を感じるのって、嫌ですよね。

 

嫌なんですよ、痛いんです。

よくわかります。

 

でも、あきらめたフリをして、感じないようにしていることで、
執着は手放せず、人生は停滞、どんどん悪化、、、してますよね。

 

だからこそ、
自分の感覚を通して「求めても得られない」この現実を、自分が受け入れることが必要です。

 

これが、本当の意味で、『あきらめる』ことです。

あきらめると、執着を手放すことにつながっていきます。

 

これから先、自分が本当に求める生き方、人との関わり方が選べるようになります。

 

先日のカズ姐さんのYouTube live
「執着を手放すとは」でも話されているので、こちらをぜひご覧くださいね。

 

執着にとらわれた生き方を変えることができるのは、自分です!

 

痛みや恐怖に向き合うのは、心の傷付き(トラウマ)があったり、安心が乏しい(愛着の問題)場合は難しくなりますが

それも含めて、心理セラピーでお手伝いできますので、ひとりで悩まずにご相談くださいね。

 

では、また~。