こんにちは。
福岡・北九州の心理セラピスト待鳥智美(まちどりともみ)です。
リトリーブサイコセラピーという心理療法で、お悩み解決・自分の人生を取り戻すお手伝いをしています。
毎日、ものすごい暑さですね。
オリンピックは熱いです!
テレビで観戦しています。
日本代表選手の活躍はもちろんですが、世界記録や勝敗、試合内容、技の美しさなどなど、見所・盛り上がり所満載ですね!
普段、見る機会が少ない競技を見ることができるのも楽しみの一つです。
あなたは、どんな風に楽しんでいますか?
さて、あなたは、人が大変そうだったり、キツそうだったり、けがや病気をしたり、というときに、とても気になり、心配する人ですか?
・何度も「大丈夫?」やアレコレと言葉をかける
・〇〇するといいよ、とアドバイスする
・これが効果的よ、とやり方や物をおすすめする
・さっと動いて〇〇してあげる などなど
でも
迷惑そうにかわされて、不安になったり
心配してあげたのにありがとうも言わないなんて!とイラつくことありませんか?
あなたのその心配、、、
一方的ではありませんか?
相手は必要としていますか?
相手は快く思っているでしょうか?
過剰で余計な心配だと、ウンザリされていないでしょうか?
あなたは、心配せずには居られなかっただけ、だとしても、
心の奥で無意識に
大変な人や弱った人の役に立つことで自己存在価値を感じているとしたら…
感謝されることで優越感や有能感を感じたいのだとしたら…
自分より弱い人でなければ関わることができないコミュニケーションパターンだとしたら…
相手にとっては、そんな心配は必要なことではないし、
本当の意味で自分のことを気遣ってくれているのではないので、
余計な心配やお世話で、ウンザリする ということになっても仕方ありません。
ちなみに
私は、大したことは無いけどちょっと具合が悪いとき(肩こりや喉が痛い程度)に、「あれが効くよ」「これ試してみて」と勧めてこられるのが苦手です。
本当に、大したことないから(笑)
自分の心配クセを見つめ直すことで、余計な心配やお世話をすることが無く、お互いが心地良い関係でいられるようになりますよ。
ウンザリされる心配とは?
いつも、強く「人に心配されるのがイヤ・ウザい」と、感じる人はいます。
そこには、心配される側の人の心理的問題があります。
※詳しくは、『【心理】心配されるのが嫌い・イラつくのはどうして?の心理的お話』をご覧くださいね。
今日は、心配される側にはそのような問題が無い場合にも、
ウンザリする心配をしてしまう人の心理についてお話ししますね。
相手との関係性について
・普段はそれ程関わりを持っていない
・憧れや尊敬している人
・立場が上な人(心理的も含む)
・自分は弱味を見せたり頼ったりしない
心配やお世話の仕方
すかさず、前のめりに、一方的に、過剰に、急激に親しげに、心配やお世話をします。
このような関係性で、相手が怪我や病気、大変そう、になったとき、
このように心配やお世話をするのは、
いつも心配できることを探しているからできることです。
だから、相手は勢いに押されて、心配やお世話を押しつけられたと感じて、とまどい、ウンザリします。
ウンザリされる心配をしてしまう心理
相手にとって不必要な心配をして、ウンザリされるのは、心の奥に無意識に持っている価値感やパターンがあるからです。
●人の痛みや辛さを自分のことのように感じてしまう
→ 自他の境界線があいまいで、自分と他人が分けられていない感覚がある
●心配することで、相手と関わりを持ちたい、近づきたい
→ 普段は、人が怖くて関われない、近づけない
●役に立つことで、自己存在価値を感じたい
●相手を喜ばせ感謝されることで、居場所がある安心を感じる
→自己否定や低い自己価値感を持っている
→人の役に立つことが自分の役割だと信じている
これでは、相手のための心配ではなく、自分の欲求や安心のための心配です。
相手がウンザリするのも納得です。
ウンザリされては、親しくなるどころか逆効果ですね。。。
感謝されなければ、不安になり、怒りに変ってしまいますね。。。
価値感やパターンは、親を心配する子ども時代に持った
価値感やパターンを持った理由を見ていきましょう。
◎親が、いつも大変そうだったり、かわいそうだったので
幼少期から親の様子を常にうかがい、
何かあれば心配をし、面倒を見るという、親子の役割逆転があった。
◎または、親が子どもと一心同体のままで、先回りし、過剰に心配やお世話をする人だった。
このような経験を繰り返して、
親の様子を常に気にして、いち早く親の役に立ち、喜ばせることで、愛情や居場所をもらうことが
自分の価値感や人との関わり方の基本になっているのです。
それはつまり
心配やお世話をしなければ、、、
人と関われなくて孤独になる
愛情や居場所をもらえず、生きていけない と
幼い子どもにとっては死を感じるくらいの恐怖を感じていた、ということです。
困っている人や弱っている人を見つけて、自分のことのように心配し、
相手の役に立つことが、
恐怖を避けるためのコミュニケーションパターンであり、
自分が果たすべき役割と信じているのです。
しかし
大人になって、これからもこの行動を続けてていたら、
・いつも人の心配ばかり
・心配な出来事がなければコミュニケーションがとれない
・相手のためと思う行動が相手にウンザリされる と
なるでしょう。
心配は相手を思いやる心
この問題を解決するには
他人の領域にずかずかと入っていくのでは無く
役割としてでは無く
役に立ち感謝されることでは無く
普段から人とフラットに関われるようになることが必要です。
フラットな関わりとは、例えば、、、
普段から関わり、支え合っていて、相手が心配な状況になったときには
「何か困っていませんか?」「お手伝いすることはありますか?」と聞いて確認して、動く。ということです。
そもそも、しっかりと成長した大人は、自分が困ったとき、適切に助けを求められるものなのです。
「~を手伝って欲しい」「〇〇が必要です」「助けてください」「〇〇まで待ってください」と。
だから、察してあげる必要はありません。
このような関わりができると、ウンザリされる心配をすることは無くなっていきます。
そのために、
◎親子の関わりの中で恐怖を感じた傷付きを癒す
◎人との絆である愛着を再形成する
◎自他境界線や自己肯定感を育てる
本来、心配するとは、相手を思いやることで、何もウンザリするようなことではありませんよね。
私たちは、人と支え合ったり、協力して、社会生活を送っています。
お互いが、自然に心地良く、人と関われると、とても楽になるのではないでしょうか。
では、また~。