こんにちは。

北九州の心理セラピスト待鳥智美(まちどりともみ)です。

リトリーブサイコセラピー®という心理療法で「あなたが本当に望む自分に戻る」お手伝いをしています。

 

人との距離感に悩み、心地よい感覚で人とかかわる・つながることがわからないと感じている方が、最近、特に多いように感じます。

それは「本当の自分を出さないで、ほどほどの距離で付き合おう」という感覚ではないでしょうか。

 

今日はその感覚を持っていた私のことを中心にしていますが、テーマ【私の言葉は人を傷付ける】という本題の前に、ちょっと母の「圧力なべ問題」について書きたいと思います。

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これは、私が大人になってからのこと。

帰省する度、「圧力なべが家にいくつも(大小合わせて4つ)あるので、どれか、持って行かない?要らない?」と言い続ける母。もう何年も!
煮物が早くできるよね♡

どういうことかというと
〇圧力なべがちょっと古くなったので、新しく買ったが、使ってみると予想以上に重くて使いづらい
〇叔母(母の姉)から1つもらったから、さらに増えちゃったけど捨てられない

これは、母の
「あんた(私)なら自分の要らないものを使ってくれるに違いない。どうにかしてくれるはずだ。」という妄想と、こだわりの強さ、
『お金』と『姉』というブロックが絡んでのことだと推測

私は、そのたびに言うのですよ
「いらない。
私は自分の気に入ったものを持ってるし、変えるつもりはない。
家にはこれ以上置く場所もない。
お母さんが要らないなら処分したらいいんじゃない?」

大人になってからなのでね、しっかり説明したり、言い切ったり、時に声を荒げたりしながら、伝えるわけですよ。

だけど、母には届かないんですね~。

母「そう(ちょっと残念そうに)。
でも、もったいないでしょ。
小さいのがあってもいいかもよ♪。」

私「だから、本当にいらないって!」

はい。
次回、また上の「圧力鍋、持って行かない?」が始まるわけです。┐(´д`)┌~~

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自分を表現することをあきらめる子ども

まぁ、こんな感じの母なので

幼いころから、
母にはわかってもらえない
母がわからない
と感じていたことを覚えています。

母の一貫性のない言動、数多い指示、怒るポイントやタイミング、喜ぶこと…何もわからない(怒られてたのは、主に兄ですが)

そして、私が言うことも理解してもらうとか、共感してもらうという感覚がないし、

いつでも、私に注目してくれていたという感覚もない

【母は、私を見てないのに、そばにいて「あんたはおとなしくしていなさい」と私を制止している感じ】

 

 

このような場合、子どもはこの家で生き延びるために

怒りや悲しみを感じないようにして、

子どもらしくあることをあきらめ、

本当の気持ちを表に出さない

いわゆる「いい子」(親にとって都合のいい子)になることを選びがちです。

 

私もそうでした。

しかし、おなしく言うことを聞き入れるタイプではなかった私の怒りと悲しみは、恨みとなり、

成長するにつれて、反抗的に「どうにかして母にわからせてやる!」と、

理屈・屁理屈・知識・毒舌・揚げ足をとるなどを身に付け、どんどん母へ攻撃的になっていったのです。

私の言葉は人を傷つける

次第に、友達にもその攻撃的なクセが出たようで(はっきりとした出来事があるわけではない)、嫌な顔をされる、ちょっと口論になる、落ち込ませるなどが、ちょこちょことあった気がしています。

「わかってもらえない」
↓悲しい、つらい、腹が立つ
自分を表現することをあきらめる
↓けれど、母には負けたくない
「わからせてやる」
↓友達にもその感覚で接してしまい、傷つけた(と思う)
「私の言葉は人を傷つける」と思い込むようになり、

自分を出さないで、ほどほどの距離で付き合おう」という生き方を選ぶ。

 

まさに、「自分を表現してはいけない」を強化していたのです。

 

さて、心理を学び、母との問題に直面しては少しずつ解決もしていき、だんだんと本当の「自分」を感じるようになってくると、

『心理セラピストになりたい』『そのために学びたい』という欲求が出てきました。

学ぶことは、全然苦じゃなく、むしろいろんなことが知れて、楽しい。

けれど、セッションを実際にやることが増えてくると、ぶち当たりました、壁に。

クライアントさんの根本の問題に近づきそうになると、「質問ができない」のです。

認めることは負けじゃない

クライアントさんの根本の問題に近づきそうになると、「質問ができない」のは、セラピストをやるには問題ですよ。
根本の問題が扱えなければ、クライアントさんにとってのいいセッションが全然できないのですから。

 

ここで、出てきたのが、【私の言葉は人を傷つける】という思い込みです。

私の言葉は人を傷つけると思っているので、セッションの場でも、クライアントさんを傷つけるのが怖くて、止まってしまうのです。
セッションでは、根本の問題にたどり着くことが、傷つけることではないと頭ではわかっていても、止まってしまうのです。

 

遡って行けばわかるとおり、【私の言葉は人を傷つける】の大元は「自分は見てもらえない存在で、それが悲しい、悔しい」ということなので、その悲しみや悔しさを感じたくないわけです。

 

「自分を見てほしい。愛してほしい。そして、自分も愛したかった。」
だからこそ、それが満たされず、悲しいし悔しい。
それができなくて、ごめんなさいという気持ちもある。

これ↑を認められればいいのでしょうが、今までそれを封印して、頑張って、成功体験を積んできたのです。
そう簡単には、感じたくありません。認められません。
≪こんなに一人で頑張ってきたのに≫
≪いまさらそんなことを認めたくない≫
≪なんで私が?!お母さんが変わればいいのに≫
≪そんなのは負けだ!負けたくない!≫

 

幼い子供は一人では生きられないのです。
小さな子供の時に感じていた「一人ぼっちは悲しい、怖い」は、生命にかかわるほど恐怖の感覚なのです。
この恐怖、イヤだ!怖いよー!感じたくないよー!

 

でも、なりたい自分がわかった今、認めずにこのままでいることを選ぶのか、認めたうえで自分にはもうこの思い込みはいらないと決意するのか、決めるのは、自分。

恐怖や、愛し愛されることを望んだ自分を認めることは、負けではないのです。
(私はこれを受け入れるまで、時間がかかりました…)

リトリーブサイコセラピー®とは

リトリーブサイコセラピー®は、根本の問題を扱うので、怖いとか痛いとかもあるけれど、決して一人で怖いところに突き落とすようなことはしないし、自分の土台をしっかりさせていくことを同時大切にするので、決意したことが戻ることはないし、感覚を扱うので、その後の感覚の違いがはっきりと分かります。

 

私の場合、いつも自分の足元が不安定で、何かに失敗すれば抜け落ちてしまう。
抜け落ちてしまえば、真っ暗な底の見えないところに落ち続けるという感覚の上に立っていたのだけれど、

今は、床は床で、抜け落ちたりしないし、暗闇が待ち構えている感じもない。
しっかり立ってるという感覚。

セッション内容は、まだまだ向上の余地ありだけど、クライアントさんに向かっても、傷つけてしまうかも?という恐怖は感じない。

 

悩みや問題を感じているけれど、心理セラピーに触れたことがないという方は、このリトリーブサイコセラピー®に興味を持ってもらえるとうれしいです。
→ → リトリーブサイコセラピー®とは

また、リトリーブサイコセラピーの講座に通ったり、セッションを受けたりしているけれど、なかなか自分が変わらないと感じている方は、一度、落ち着いて、今の自分を感じてみてはどうでしょう?
自分の軸、土台を、安定したものに育てていますか?
セラピストさんが変えてくれたら楽なのに、という思いはありませんか?

何かのきっかけでドッと進むこともあるし、焦らず、じっくりと進むのもアリではないでしょうか。

 

では、また~。
こんな感じでセッションやってます

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